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プウホヌア・オ・ホナウナウ 許しの入り江
“プウホヌア”はハワイ語で「逃れの場」「聖域」という意味です。 この場所はまた「逃れの町」とも呼ばれますが、これはこの場所のコンセプトが聖書の中の「逃れの町」に似ている事から、初期のキリスト教宣教師の一人が名付けたものです。しかし、ここには町はなかったので、「逃れの町」は名称としては適切でありません。 昔、ハワイの王族は神々の子孫とみなされ、人々を支配する「してよいこと、してはならないこと」を定めるカプ(タブー)制度を強制する霊力を持つと考えられていました。元来、カプの掟を破った罰は「死」で、誰も許しを請うことは出来ませんでした。そこでアリイ(王)は犯罪者が逃れ、生き延びることのできる「逃れの場」をつくりました。「逃れの場」に避難した非戦闘員(戦闘に加わらない老人、子供、病人)は安全でした。戦いに敗れ、逃亡中の兵士もこの聖域に入ることによって救われました。 しかし、犯罪者と敗残兵が「逃れの場」に行きつくまでにはいくつかの難関がありました。一つには重要な掟を破ると神々を怒らせ、すべての人い影響する天才を招くかもしれないと信じられていたため一般の人々を守るために、犯罪者は捕えられ罰せられなければなりませんでした。敵に追われた敗残兵等は海を泳ぎ渡り、北方からのみ「逃れの場」に入ることが出来ました。聖域の周りはとても神聖な場所で、王族やカプの執行者自身が住む区域がありました。 犯罪者が「逃れの場」に入ると、祭司はすうじかんから夜通しに渡る儀式を執り行い。無罪の申し渡しをしました。赦免後 犯罪人は家に帰り、再び普通の生活を送ることが出来ました。戦争難民の場合は、戦いが続く間は聖域に留まりました。戦争は数時間から数週間続きました。 カメハメハ大王がなくなると、その息子・リホリホが王位に就きましたが、1819年、リホリホは行為に女性たちとともに食事をし、男性と女性は同席して食事をしては奈良にというカプを破りました。心配された参事は起こらず、リホリホは古い神々の礼拝を捨て、神殿・偶像・逃れの場を破壊するように命令しました。こうしてカプ制度は終わりを告げたのです。 1.王族の敷地(Royal Grounds) こんな場面を想像してみましょう。労働者がタロイモをすりつぶしたり、池から魚を捕ってくる間戦士は見張りを続けている。二人の廷巨がコナネ(石盤ゲーム)に興じてる。そこへ突然高位の酋長が妻たちや戦士たちを連れてカヌーで到着、上陸した。すべての活動は中断された。もしもあなたがこの古代で、一般庶民であったとしたら王族の敷地に入ることもできなければ、あなたの影を落としてもいけなかった。このカプの掟を破ることはすなわち「死」を意味した。 2、神殿の模型(Temple Model) これはハレ・オ・キラウエア神殿の2分の1サイズの復元模型です。骨組みはオヒアの木をヤシの繊維で縛ってあります。屋根ぶきの材料はティーの葉です。 3、コナネ(Konane) この伝統的なハワイのゲームは、小石をパパムと呼ばれる石盤の上に並べえt競います。 4、カノア(Kanoa) 岩をボウル上にくりぬいたこの道具は、染料をいれたり、海水を蒸発させて塩をとったり、アワの根をすりつぶして儀式用の飲み物を作ったりしたと考えられます。 5、溶岩樹形(Tree Mold) 1,000年以上前、マウナロア火山から溶岩が流れ、すべてを飲み込み、木々をも倒しました。 6、ケオネエレ(Keone’ele) 子の入り江は王族のカヌーの上陸場で、一般庶民には禁制の場所でした。今は野生のウミガメを観察できます。 7、グレートウォール(The Great Wall) 王族の居住区域と“プウホヌア”を隔てる高さ約3m、厚さ約5mの壁。岩は慎重に組み合わされており、構築にはモルタルは一切使われませんでした。1550年ごろ井作られて以来、安定化され修復されています。 8、ハレ・オ・ケアウェ(Hale 0 Keawe) キイ(木偶像)が復元された神殿と霊廟を見守りながら立っています。この霊廟には23人の王の遺骨が納められ、ホオクプと呼ばれる捧げ物がレレと呼ばれるやぐらの上に置かれています。 9、プウホヌア(Pu’uhonua) もう一つ想像してみましょう。あなたはカプを破った。戦士に追われ、このワンをあなたは泳いで渡ってくる。戦士がちょうど接近したその時、あなたはプウホヌアの浜にたどり着いた。もう安全だ。ここは誰も血を流してはいけない。あなたは神に感謝する。祭司はやがてあなたを赦免し、家に帰ることを許すであろう。 10、ケオウア石(Keoua Stone) 作家・マークトゥエインは「ハワイからの手紙」で「この石は粉の行為の酋長ケオウアがとても気に入ってた休息の場でもあった」と報告しています。そこの部分の穴は天蓋の支柱の土台だったと考えられいます。 11、アレアレア(′Ale’ale’a) プウホヌアの最初のヘイアウと呼ばれる祭壇があったとき、おそらくこの石の基盤の上には草ぶき屋根の小屋とキイ(木偶像)があったとされています。祭壇は7段階を経て建てられたとされています。 12、カアフマヌ石(Ka’ahumanu Stone) 伝説によると、カメハメハ1世が最も愛したカアフマヌ女王は、王との口論の後にプウホヌアまでの長距離を泳いだことがありました。その時、女王はこの石の下に隠れたのですが、愛犬が吠えてしまい、居場所が知られてしましました。王は彼女を見つけ、すぐに仲直りをしました。 13、パパム(Papamu) コナネに使われた実物の石です。 14、古いヘイアウ(祭壇)の場所(Old Heiau Site) ここにある石はすべて、時間と共に名前が失われてしまった古い神殿の遺物です。プウホヌアのもっとも古い構造物のひとつでしたが、何百年もの荒々しい海の波により破壊されてしまいました。 15、ヘレイパララ(Heleipalala) この湧水と海水の混じる池は、王族のための食用の魚を入れていました。 16、ハラウ(Halau) この作業用の建造物の屋根から釣り下がっているたくさんのティーの葉っぱは、縄に結んで魚を浅瀬に追い込む道具として使われ、その漁法は「フキラウ(hukilau)」と呼ばれました。
by tsuyofuru
| 2014-04-29 23:56
| HAWAII
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